八〇〇文字でブログ

原稿用紙2枚くらいで批評やエッセイを書くブログ。

バングラデシュに行くまで編 その一

 2017年4月10日から14日頃までがチッタゴン丘陵地帯に住む先住民にとってのお正月になります。今回は先住民の中でももっとも人数の多いチャクマと呼ばれる人々のお正月の祝い方やイベントを「日記」という形でご紹介いたします。
 なぜ、「日記」なのか。それは、この地に外国人が入り、先住民と共にお正月を祝うということ自体に政治的な意味が付与されるからです。つまり、外国人がいると軍や警察の干渉が入り自由にお正月を祝うことができないということです。そのことを示すには、チャクマという人々がどういう存在なのかをただ紹介するのではなく、私がどのようにそれを楽しんだかを伝える方が効果的だと考えました。だから「日記」なのです。前置きはこのくらいにして本題に入りましょう。
 
 ちなみに今回はまだ日本にいる間なので写真もなく内容も少し重いですが、少しづつ写真を増やし文字を減らして行く予定です。
 
 
 
2017年3月27日 東京
 
 チッタゴン丘陵地帯に入るには政府に許可を申請しなければならない。難民キャンプのような特殊な場所であれば許可がいることもわからなくはないけど、事情を知らないと理解に苦しむところだ。一見すると、ここも数ある農村の一つにすぎない。確かに先住民が多く住んでいるが、それを言うなら他にも同じように先住民が多く住む地域はある。ここだけなぜなのか。
 表向きの理由は「治安」ということになっている。この地域の先住民は自治を巡って中央政府と争った歴史がある。1997年に和平協定が結ばれ激しい戦闘状態は終わりを迎えたものの、協定の内容は未だに実施されず、しこりを抱えたままとなってしまっている。「紛争状態」ではなくなったが、入植してきたベンガル人と先住民ジュマの関係は悪く、襲撃事件が度々起きている。治安は良いとは言えないというわけだ。とはいえ、その襲撃事件の実態は、軍の後ろ盾ありきのベンガル人入植者による先住民に対する焼き討ちやレイプといった惨状だ。各事件の経緯や様子についてはジュマ・ネットというNGOが精力的に調査しているが、どれも悲惨なものだ。
 
 治安の悪さを「演出」し自ら防犯を買って出る。マッチポンプ的な状態に全く納得できないが、いずれにせよ許可をもらわなければならない。法を破るようなのとをして現地の先住民に迷惑を掛けるわけにはいかない。僕はチャクマ語が話せないからきっとすぐにバレてしまうだろうし。
 というわけで、現地の知り合いにパスポートとビザのコピーを送り、役所に申請してもらう手はずを整えた。滞在日数、訪問する県(チッタゴン丘陵地帯はカグラチョリ県、ランガマティ県、バンドルバン県の三つの県から成り立っており県ごとの許可が必要になっている)、宿泊先ホテルを話し合う。今回の目的は一つ、「ビジュ」と呼ばれるチャクマの新年祭を楽しむこと。なので滞在日数はビジュの行われる期間である4月8日から14日までの一週間。訪問する県はランガマティ、そして宿泊先はトンギャ・ハウスという地元NGOの運営するゲストハウスに決まった。
 あとは許可が降りるのを待つ。昨年は申請がうまく行えず、結局許可が降りなかった。その反省を活かし今回は早すぎず遅すぎず、申請のタイミングを見計らった。現地の知り合いがうまくやってくれることを祈る。就寝。