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バングラデシュに行くまで編 その二

4月3日
 入域許可証が発行された。そこには僕の名前と国籍、パスポート番号、入域する日と出て行く日が印字されていた。そして、許可証には「滞在中の訪問者は以下のことを要求される」とある。
 
 1, ランガマティ県に入る前に警察のチェックを受け、名前を登録すること。
 
 2, 公式な会議に出席することを控えること、また、チッタゴン丘陵地帯に関する問題への言及を控えること。
 
 3, 移動の際は現地の行政局と警察との連絡を取り続けること。
 
 4, 移動の際は十分注意すること。
 
 5, 与えられた日程をしっかりと維持すること。
 
 そしてどうやら、この申請書はダッカ内務省事務局とランガマティにある6つの警察や軍関連の事務局にコピーして送付されるとのこと。とにかくあらゆる機関が外国人を監視することになっている。
 特に1番と2番が具体的だ。1番は検問所を通れと言っている。2番はチッタゴン丘陵地帯の政治に関わるなということだ。2番の「控える」は”refrain”という単語が使われているが、この単語が掲示で使われるときは禁止に近い。日光とかの「猿に餌を与えないでください!」みたいな感じだ。
  この2番はまさに「政治的自由の制限」と言えるだろう。具体的にどのようなことに関わってはいけないのかは、抽象度が担保され解釈の幅が広くなっている。暴力的な反政府組織の会合から和平的なNGOの活動まで、あらゆることが範疇になりかねない。
 
 確かに先住民問題は危険な事柄ではある。襲撃事件は軍主導と言われているが、先住民の方にも過激派はいる。これに触れないことは身の安全を守る上でも得策と言えるだろう。しかし、それが政治的自由の制限を行ってよいという根拠になるのだろうか。そこにあるのは、問題を解決しようという姿勢ではなく、問題を隠そうという姿勢があるとしか言いようがないのではないか。
 仮にこれが安否のためだと知らなくとも、あるいは、この土地の争いの歴史を知らなくとも、察しのいい外国人は誰でも気付くだろう。「ここには触れてはいけない何かがある」と。このような許可証を受け取りながら、自然を満喫するなんてできるわけがない。目に見えてる自然などもはやどうでも良い。むしろ見えてこない「何か」の方がずっと引っかかる。美しい自然や人々の笑顔と共に、政治的自由の制限により隠された何かがそこには存在する。就寝。